- 第三章がこの本の中で一番望んでいた部分(歴史が「物語」の枠の中に収まることへの危惧)だったけど、なんとなく薄いかなーみたいな。
- 『蒲団』の話は前の*1より簡単になってました。「私」が別の「私」に侵食されていくのに耐えられずに押し出していく話、を自嘲した小説。
- と読んで、なんとなく人類補完計画を思い出した。
- 現代(というより大量生産・消費の文化という位置付けで)はデータベースになった属性をセルから必要個抽出して話を構築していく。しかし結果できた話は神話のように古典的になってしまう。
- または中身の無いキャラクター(ハンドルネームやアバター、「ライナスの毛布」)として生きる。中身が無いから傷つきやすく(手応えが無い)、現実に回って佐世保の事件を起こした、とかなんとか。
- 東浩紀がよく自分の名前を検索して…(p135)を読んで、このいままでのもやもやは同属嫌悪だーと思った。
- ↑と近いページで、個人情報保護法の話はほーほーと思った。精神的被害ってよくよく考えてみればよく分かんないですね。身体的、経済的、また悪事をバラされたくないという意味での社会的な被害(ぬ、これだけはどんどん暴いていこーぜ)というのと一緒な気がしない。いや、守って欲しいことには変わりはないけど。
- ということで、キャラクター化する「私」については実感しました(web上でハンドルネームをつけたひとの命題です)。そのほかはよくわかりません。別の本をどうぞ。
*1:『キャラクター小説の作り方』http://d.hatena.ne.jp/smomo/20050118#p3