津田大介のパーソナリティがうさんくさいという部分は私も感じますが、あいちトリエンナーレのコンセプトは分かりやすく、アートに不慣れな人でも楽しめるはずです*1。
少女像についても「表現の不自由・その後」と合致していて、会期が決まっている展示であれば興味深く、チャンスがあれば見に行っただろうと思います。ただし、少女像の元来の制作意図や、各地に濫立する行為は非常に下衆なもので、そこにあるだけで嫌悪する人がいるのは分かります。この企画展示の少女像は、利益団体の後援だけで設置されたものでなくて、各所の了解が得られたから展示されたものです(と思う)。それでも、単純に嫌いだから、政治的に問題があるから、アートではないから(?)、テロが起きるぞ*2と、様々なけちをつけて排除しようとする行為は、日本製品の不買運動を励行する集団と大差ありません。
扇動されて不利益な行動をする不自由さに気付いて、もっと穏やかな暮らしを送ってもらいたいものです。
こうなることまで予想して、津田大介が会見で泣いて、裏で成就したと祝っているならば、それもまた気持ち悪いなと私は思います。
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余談ですが、私がインプットしている関連ニュースとして、ブラックボックス展 (2017) は一部参加者の悪意が勝ってしまったためアートになれなかった例です。Japan Expo の韓国ブースとか、 逮捕された韓国人が日本人だと嘘をつく事件などは日本語の記事になる段階で誤解しているのではないかと疑うレベルで理解できません。民族レベルで良し悪しを決めるものではなく、機会ごとに考える必要があります。