4割連絡6割脱線の考察

長い間抽象的な作品である器楽曲や絵画ににタイトルを振っていたので、日記のタイトルも幾分は拘っています。おそらく以前にも。

常套句(例えば..「○○先生の作品が読めるのは○○だけ!」みたいな)を用いるのが大好きで、必ずここのアンテナがどちらの方角を向いているのかを確かめながら話を聞いていますね。

「みなまで申すな」という感覚は源氏物語のころにはもうあったようで、この話自体は好きではないけれど、その[同胞意識]を当時のひとが楽しんだのは容易に想像でき、わたしも共感します。阿吽の呼吸とか、アイコンタクトとか、そういうことができると嬉しくありませんか。気持ち悪いですか。
//
それと、本文で何回か推敲の入ったものは、最終的に強めに省略してしまうパターンが多いですね。切りすぎて書いた本人ですら覚えていない。