そもそも靴とは履くという概念ではなく履かせていただくという概念で歩んでいこうではないのではないだろうか。
靴を履くではなく履かせていただくという気持ちになれば靴の革の温かみゆえに広がる世界の華やかさが人々に見えるのではないだろうか。
靴とは革でできた履き物という概念ではなく布でできた履き物という概念を持ってみようではないか。
たとえばもし人々が靴を履くという概念でなく履かせていただくという概念であれば、緑の美しい茂みの中を歩くべく時代、そう、昨今殺戮の時代では新しい概念を生もうではないか。
概念、概念、どうぞ、そうすれば靴を履くではなく履かせていただくという概念が生まれますので、みなさんどうぞ、靴を買うではなく買っていただかしてもらえる、履くではなく履かしていただくという概念を持ってみようではないか。
さすればこの歪みきった時代に履くではなく履かしていただける概念が生まれるのではないだろうか。