「売れていることのダサさ」

タイムラインがずっと続いているので興味深く見ています。

令和時代の意識として「売れていることのダサさ」が消滅してしまっているのを感じました。YouTubeの視聴回数はネット言論のクラスタと相関しています。再生回数の多少とSNSでの強さの関係は、テレビ・新聞時代の視聴率・発行部数から舞台を移動しただけのように見えます。

「売れていることのダサさ」について、1990年-2000年代でB'zよりも象徴的な人物や団体があります。木村拓哉読売ジャイアンツです。圧倒的な知名度と人気に対してアンチファンが多数いました。人気が薄まるにつれて現在は再評価されています。ただし、当時彼らを嫌いだったひとが「ダサいと思ってた自分がダサかった」と自省すべきなのかは判断できません。昔も今も世論に誘導されている気がするからです。

お笑い芸人のアイドル活動、サッカー日本代表サポーター、秋元康、韓流ドラマはそれぞれ「売れていることのダサさ」が見え隠れするコンテンツです。陳腐であることはそれだけ共感を得られやすい特徴があります。

最近の事例だと、YOASOBIの夜に駆けるがトラックとして未熟であることを非難するのか受容するのかで騒がしかったのを覚えています。私は「上質なマスタリング(=権威主義)に対する若年層からのカウンター」で片付けてしまったのですが、現在のYOASOBIは活動資金も豊富なので、あの時悩む意味があったのか分からなくなっています。